字幕ほにゃく犬のダラダラほにゃく日記

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「<戦争責任>とは何か」読了

 ちびちび読み進めていた本を読み終えた。私にとっては久々のショーゲキ。ドイツも現在に至るまで、紆余曲折を経てきたことがよく分かる。それでも周辺国とはそれなりにうまくいっているように見えるし、難民問題で右傾化の心配はあるものの、ナチ時代に逆戻りすることは考えにくい。右翼がデモを行えば、すぐに市民の間で対抗デモが起こるのも非常に健全に見える(少なくとも私には)。

 著者は、「戦争責任」という問題で日独を比較するのは難しいと言っている。それは分かるけれど、根底には「ドイツはえらい、日本は反省しないダメな国だと言われがちだけど、ちょっと待ってくれよ。ドイツにはカラクリが…」という思いが見え隠れする気がする。もちろん、著者は言葉を慎重に選んでいるし、日本の対応に対しても批判的に見ている。確かに単純に比較するのは難しい。日本には「ナチス」ほど明確な(ある意味、分かりやすい)悪の権化みたいな存在もない。だけどやっぱり、問題発言を繰り返す政治家や、某所を堂々と参拝する行為には腹が立つ。これ以上のことは素人の私には言えないけれど…。

  ドイツの戦争映画に関して。確かに(私が知る限り)、悪=ナチスという構図は明らか。特に最近では、「ドイツの庶民もまた、ナチに苦しめられた被害者」という描き方や「そんなドイツ人の中にもナチスに抵抗した人はいた」という描き方が増えてきたように思う。ホロコーストを行ったのはナチの連中なのだ、と。そんなことを考えていたら、ふと思い出した。以前、Twitter で何人かの人が「ドイツは実はすべての罪をナチにかぶせているのでは?」といった内容で議論していた。その時、誰だったか忘れてしまったけれど、日本語の達者なドイツの方が「私たちは”ナチの過去”ではなく、”ドイツの過去”として理解している、学校でもそう習った」と書きこんでいた。私もそうだと思う。良識的なドイツ人は皆、ナチスはドイツの過去として認識している。「あいつら、ナチスにかぶせてる」と言って溜飲を下げること自体、恥ずかしいことではないかしら。

 1つだけ書かなきゃと思ったのは、この本が出たのが2001年という点。この本が出てから既に16年が経ってる。この16年の間に、ドイツも日本も激変した。この著者が今、同じテーマで書いたらどういう本になっただろう。まったく違う結論が出ているかもしれない。

 

 とにかく、いろいろ考えさせてくれたという点では、良い本に出会ったと思った次第。「何対何で日本の勝ち」とか書いて日本をヨイショし、読者におもねるどこかの本とは違う。

 

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日記とはまったく関係ないけれど、涼しげな青い色を見たくなって載せちゃった。マインツにある聖シュテファン教会のステンドグラス。シャガールのもの。幻想的ですっごくよかった…。また見たい。