字幕ほにゃく犬のダラダラほにゃく日記

字幕ほにゃく犬の日常をぐだぐだと書いています

『ヘルムート・オルトナー氏 x 石田勇治氏公開対談』

 先日もちょこっと書いたけど、ジャーナリストのヘルムート・オルトナー氏と石田勇治先生の対談を聴きに、日比谷公園内の図書館まで行ってきた。

 

 面白かった!!! すっごく、すっごく面白かった。もっと聴いていたいと思ったくらい。オルトナー氏はジャーナリストであり、著述家であり、新聞に寄稿するコラムニストでもあるとのこと。たった一人でヒトラーを爆殺しようとしたゲオルク・エルザーの評伝でも知られているらしい。爆発により一般人が亡くなったため、エルザーは長くテロリスト的な扱いを受けていた。だけど最近になって名誉が回復され、映画化もされるようになったのはオルトナー氏の研究が大きく寄与しているとのこと。また、「白バラ」のショル兄妹を裁いた裁判官ローラント・フライスラーの本でも有名だそう。フライスラーは先日も動画を載せたけど、被告を口汚く面罵し、恫喝して萎縮させ、一方的な判決を下すことで知られている。なんと3000名を処刑場に送ったとのこと。

 

 オルトナーさんが力説しておられたのは、フライスラーに代表されるナチの極悪人は、プライベートではごく普通の人だったということ。きちんとした教育を受けた人も多く、決して異常者なんかじゃない。必ず共犯者がいることを忘れてはならない、またフライスラーをフライスラーたらしめた国家機構や周囲の環境のことも忘れてはならないということ。その話を聴き、ゲッベルスにしても、アイヒマンにしてもそうだと思った。残忍なナチの幹部たちは、家では善き父、善き夫だったりする。ヒトラーも同様。秘書に優しい顔をするヒトラーを描いたことで、「ヒトラー 最期の12日間」は物議をかもした。だけど、彼らを「人格異常」とか「精神的にオカシイ人」で片づけてしまうのは問題の矮小化に過ぎず、それで免責されて得をする人物がいる。ごく普通の人が、ああなってしまうこと、そして国民もいつの間にかそれを受け入れるようになってしまうことに問題の本質があるのだろう。

 

 過去の歴史問題についても力説しておられた。過去と現在、そして未来は続いている。過去を振り返ることは確かに痛みを伴う。現代に生きる私たちは、過去の過ちに対して直接の罪はない。だけど自分たちの過去を直視する義務はある、と。このあたりは、ヴァイツゼッカー元大統領の「荒れ野の40年」演説(1985年)でも有名だけど、こういう歴史認識が浸透するまで、ドイツもいろいろな紆余曲折を経てきたという。痛みを伴うプロセスを経てこなかった国 ― それが今の日本なのだろう。話を聞いて、実に耳が痛くなった…。

 

 それ以外にも、いろいろ「はっ」とすることをおっしゃっていたのだけど、長くなるので割愛。また改めてご紹介させてください。土曜日の朝、早く家を出るのはなかなか大変だけど、行ってよかった!オルトナーさんの本も早速購入しなくちゃ。

  

『ヒトラーの裁判官フライスラー』著者ヘルムート・オルトナー氏×石田勇治氏公開対談 - 白水社

 

 

 10時ごろの日比谷公園。公園内は人が少なく、しーんとしていたけれど気持ちがよかった!

f:id:alichen:20171216151059j:image