字幕ほにゃく犬のダラダラほにゃく日記

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『戦後ドイツのユダヤ人』その2

 やれやれ、今朝は雪かきをしなくてもいいと思うと気分がラク。そのくらい、昨日の雪かきは堪えた…💦💦 しかーし。 さぞかし今朝は筋肉痛でツラいだろうと思いきや、筋肉痛はナリを潜めている…。体の節々は痛いけれど筋肉は平気。これは数日後に来るというパターンだろーか。若い頃は翌日に「筋肉猫」(👈ドイツ語でいう筋肉痛)が来たけれど、年を取るとそいつは遅くやってくるようになる。うー…💦

 

 ところで昨日ぱらぱらめくった『戦後ドイツのユダヤ人』。確かに以前読んだはずなのに、内容をほとんど覚えていないというザル頭である。いや、ザルなら粒の大きい石くらいは残るハズ。まったく残っていないということは、もはやこの頭はザルでもなく、素通しなのだろーか。

 

 この本は戦後ドイツのユダヤ人について書かれているのだけど、冒頭で戦争を生き延びたユダヤ人について書かれている。主に3つのパターンがあるという。

1)混合婚のユダヤ人。いわゆる Mischehe というやつ。ただし、夫が”アーリア人”で妻がユダヤ人、子供はキリスト教徒として育てられる場合は「優遇される混合婚」とされ、その逆つまり夫がユダヤ人で妻が”アーリア人”、子供がユダヤ教徒として育てられる場合は「優遇されない混合婚」とされたそうだ。前者の場合、妻はユダヤ人であっても黄色い星は免除された。ただし子供はいわゆる「半ユダヤ人(Halbjude)」で星の着用は必須。一方、後者の場合、ユダヤ人の夫は星を義務付けられる。そして戦争も末期に近づいた1944年、彼らもとうとう東方へ送られたという(主にテレージエンシュタット)。

2)潜伏して当局(ゲシュタポ)の追跡を逃れたユダヤ人。彼らは偽造パスでアーリア人になりすましたり、隠れ家に隠れて終戦を待ったりしたという。この本によると、ドイツ帝国全体で12,000~15,000人が潜伏の道を選び、終戦まで生き延びたのは3,500~4,000人程度だったそうだ。食料事情が悪いために協力者の支援が欠かせず、常に密告の恐怖にも怯えていたという。資産があったユダヤ人は協力者にお金を払って食料を調達してもらえたけれど、お金がないユダヤ人は飢え死にするしかなかったらしい(涙)。

3)収容所から生還したユダヤ人。強制収容所から「解放」されたユダヤ人は数千人と言われているらしい。極限の飢餓状態だったために、連合軍からもらった食料を食べたとたんに亡くなったというケースも多かったとのこと。飢餓状態の時は、少しずつ食事の摂取を始めないといけないらしい。他国出身のユダヤ人には終戦とともに祖国からの迎えが来たけれど、ドイツ出身のユダヤ人は迎えに来る組織がなく、途方に暮れていたらしい。彼らをドイツに連れ戻すべく奮闘したのが、1や2のユダヤ人だったそうだ。当時ケルン市長だったコンラート・アデナウアーがケルン出身のユダヤ人を呼び戻す活動をしたそうだけど、これは自治体が動いた数少ない例だとか。

 

…これはこの本の冒頭部分だけど、ここを読み返しただけでも「へえ~」の連発。今の仕事が終わったら、もう一度きちんと読みたい。ただし素通し頭のワタシだから、またぜーーーーんぶ忘れてしまうかも。ああ、読んだものがきちっと記憶される頭脳が欲しい(涙)

 

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