字幕ほにゃく犬のダラダラほにゃく日記

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ベルリン大空輸70周年

 昨日6月26日は、ベルリン大空輸70周年だったのね。今朝、ドイツのニュースを聞いて知った。冷戦が深刻化しつつある1948年6月24日、ソ連が西ベルリンへの交通網を封鎖。西ベルリン市民をいわば「兵糧攻め」にしようとしたのだけど、米英を中心とする西側諸国がそれに対抗して飛行機による物資の輸送を計画。フランクフルトやヴィーズバーデンから飛び立った最初の飛行機がベルリンのテンペルホーフ空港に着いたのが6月26日だったみたい。偶然にも2月にテンペルホーフ空港あたりをウロついて記念碑を撮影したばかり。前にも載せたかもしれないけれど(☚モーロクして、もう覚えてない💦)また載せちゃう。

 

地下鉄「プラッツ・デア・ルフトブリュッケ(大空輸広場)」駅。

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おっ あったゾ。空輸をイメージした記念碑だ。食糧・燃料・トイレットペーパーなどを運んだ飛行機は「Rosinenbomber(干しブドウ爆撃機)」と呼ばれたらしい。ニュースで流れた当時の映像では、落下傘で投げられたお菓子をおいしそうにほおばる子供が映っていた。

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ソ連にとって、西ベルリンは非常に鬱陶しい存在だったんだろうなぁ。ベルリン封鎖で西側が西ベルリンを手放すことを狙っていたとの話。西側諸国からすると、なんとしても死守したかった砦だったんだろう。

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かつてドイツが東西に分断されており、さらに西ベルリンは東ドイツの中にぽっかり浮かぶ陸の孤島だったことを、若い人はイメージできるかなぁ…。漫談でお声を掛けていただくときは、必ず東西に分かれた地図をお見せするようにしている。当時は本当に一触即発だったんだなぁと改めて思う…。