皆様、いつもほにゃく犬の駄ブログに遊びに来てくださいまして、ありがとうございます。古巣に戻ることにいたしました。いきなり自己満足な旅日記ばかりで恐縮ですが、もぉぉぉ~しよろしければチラ見してみてくださいませ。。。
皆様、いつもほにゃく犬の駄ブログに遊びに来てくださいまして、ありがとうございます。古巣に戻ることにいたしました。いきなり自己満足な旅日記ばかりで恐縮ですが、もぉぉぉ~しよろしければチラ見してみてくださいませ。。。
昨日の午後、ブジ戻ってきた。とくにトラブルもなく(チェコのテレージエンシュタット強制収容所を見学した帰り、バスが来なくて雷雨の中で2時間待たされたけれど💦)元気に戻ってこられてホッ。
プラハの郊外にあるテレージエンシュタット強制収容所の跡。半ば観光地と化したアウシュヴィッツと違い、こちらはとても静か。訪れる人たちもみんな胸を痛めつつ、静かに見学していた。
こちらはドレスデンの近郊、ピルナという街にある記念館。ナチ時代、ここは精神疾患の患者や障がいを負った人たちを「安楽死」させていた。いわゆるT4作戦。
ドレスデンでは州議会選挙の翌日にPEGIDA(=西洋のイスラム化に反対する欧州愛国者)のデモに遭遇。警官がぐるっと取り囲んでおり、デモ自体は平和に行われていたけれど、近くでカメラを構えるのはさすがに憚られた。なので遠くから…。折しも、極右政党 AfD が躍進した翌日。「我々はAfDとは違う」という主張らしいけれど、中には堂々とAfDの旗を掲げている人も。やはりここは旧東独、ザクセンの地なのだと痛感した。
また少しずつUPさせてくださいっっ なお、この「はてなブログ」の有料版は9月14日までの契約。無料版にして続ける手もあるのだけど、またエキサイトブログに戻ろうかと思っている。。。なので続きはこれまでの「ほにゃく犬の字幕ほにゃく日記」に書こうかな。また改めてこちらにURLを貼りますねー。
ドレスデンに着きました。聖母教会やゼンパーオーパーを横目に、ナチやソ連軍、東独シュタージに関係する記念館ばかり周るワタシ💦
しかし暑い…💦
ギロチンによる処刑場だった中庭にて。
詳しいことは、また帰ったら書かせてくださいっ
また例によって弾丸💦 あっという間に戻ってきます。
えへへ。お土産をいただいちゃった♪ ほかにもたくさんいただいたのだけど、「見せびらかし」を卒業したワタシは、小出しに出すことにした。だってさー、これ見よがしに全部見せて羨ましがらせるのって、いやらしいでしょ?だからさー、小出し作戦に切り替えようかと。(←結局は見せびらかす)
早速…
じゃーん!!
リコラのユーカリ味!ちょうどいいことに(?)、一昨日の晩に寝冷えをしたらしく、昨日からずっと喉が痛い。なので今日は朝からずっとユーカリばかり。コアラの気持ちが分かるようになってきたゾ。
ところで、戦争物の仕事をやるとよく出てくる歌「Westerwald」(ヴェスターヴァルト)。前から不思議に思っていたのだけど、途中でいつも「Eukalyptusbonbon♪」という合いの手が入る。なぜだろう?
サビの「お~~~どぅーしぇええええな、ヴぇええええすたーヴぁると」のあとに、「おいかりぷとぅすぼんぼん♪」と入るので聴いてちょ。
この歌は戦意高揚とは無関係だし、楽しいので結構好き。ただし映画で兵士がこの歌を口ずさむのは必ずと言っていいほど悲惨なシーンの時なので、やっぱり辛い。
今日の夕方、近所のスーパーへ買い物に行った。レジの横にドイツのフィスラー社製鍋が何個か置いてあり、ぴかぴか光っていた。「え?このスーパー、フィスラーを売り始めたの?」と思ってよく見たら、ぬゎんと!春のパン祭りならぬ、夏の鍋祭り!お買い物の金額1000円につき1枚、シールがもらえる。それを集め、さらに少しお金を足すとフィスラーの鍋がもらえるというシステム。
欲 ぴ い~~~!!!
パン祭りの白いお皿には興味ないけれど、フィスラーの鍋は欲ぴい。よーし、今日からシールを集めるぞ!!!
大昔のブログ(ココログで書いていたのをそのままエキサイトブログに移したもの)をここに貼っちゃう。Fissler について書いていた。
最近、ツイッターを開くのが苦痛に感じる時がある。精神安定上、ヒジョ~によくない。ひどい差別発言やら何やらがどうしても目に入ってくるから。先日も、とあるジャーナリストのイヤなツイートを見かけてモヤモヤした。
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…呼ぶべきお客様はLCCに乗ってくる人たちではありません。LCCで来る人たちにはそれなりのサービスで応じるのが筋。一般の国民全般に「暖かいサービスを」「交流大事」という勇ましい押し付けはやめていただきたい。
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特定の国の人たちに向けて言っているのは明らか。こういう輩は欧米の客にはへこへこしたりするもの。ワタシもドイツ国内を移動する際、LCCを使うことが多い。昨年の夏も利用した。それで「LCCで来たアンタには、それなりのサービスしかしません」と言われたらとっても傷つくし、こんな国、二度と来るもんか!と思う。こういう差別発言を堂々とSNSにさらす神経、一体どうなっているんだろうか。ジャーナリストの看板を下げたほうがいいんとちゃうか。
実はブログを始めて13年目に突入した。早いっ 最初はココログ、2年後にエキサイトブログに以降した。始めた頃は日記を書くのが楽しくて楽しくて、せっせと書いていた。ああ、あの頃はエネルギーがあったのねぇ…(遠い目)。そうこうするうちに、エキサイトブログと並行して「はてな」のブログを始めた。これが2年前。もう少しで更新時期になる。
実はブログに広告が出るのが嫌で、有料版に入っているのであーる。これがねぇ、意外とお高くてねぇ…。どうしようかなぁ。。またエキサイトブログに戻ろうかと迷い中。
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苦手な方もいらっしゃると思うので、小さめの写真を...。今季3頭目のクロちゃん。ナミアゲハも合わせると、今期34頭目。名前は Czarny (チャルニー)にした。ポーランド語の「黒」(グーグル翻訳で調べた(笑))。1頭目は Schwarz、2頭目は Noir、3頭目は Czarny。次にまたクロちゃんが羽化したらどこの言葉にしようかな。
昨日、1日だけ休みを取った娘と一緒にスカイツリーへ行ってきた✨ こんなに近くへ行ったのは初めて。いつも遠くから眺めているだけだった。こりゃデカい!
隣接する「ソラマチ」でランチを平らげ、腹ごしらえしてから展望台へ…
…ところがお盆休みで激混み。40分待ちということなので、急きょ予定を変更して水族館へ行くことになった。
クラゲに癒され…
ニモに元気をもらい…
ダイオウグソクムシに初めて遭遇し…
チンアナゴにホッコリし…
ペンギンにコーフンした。
先日、お誘いいただいて「ダイアローグ・イン・サイレンス」を体験してきた。現在、新宿のルミネ0(ゼロ)で開催されている。ルミネ0って初めて行った。すっごくキレイ。NEWoMan の上の階にある。会議やイベントに利用できるスペースみたい。
一言で説明するのが難しいので、HPから引用させていただいちゃう。(以下、HPより引用いたします)
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~静けさの中の対話~
音のない世界で、言葉の壁を超えた対話を楽しむエンターテイメント、
それがダイアログ・イン・サイレンス。
体験を案内するのは、音声に頼らず対話をする達人、聴覚障害者のアテンドです。
参加者は、音を遮断するヘッドセットを装着。
静寂の中で、集中力、観察力、表現力を高め、解放感のある自由を体験します。
そしてボディーランゲージなど、
音や声を出さず、互いにコミュニケーションをとる方法を発見していきます。
たとえ母国語の異なる人であっても、想像以上の交流が深まります。
1998年にドイツで開催されて以降、フランス、イスラエル、メキシコ、トルコ、中国でも開催。
これまで世界で100万人以上が体験しています。
日本では2017年に初開催、約1万人が体験しました。
*****************(引用終わり)*************************
サプライズの部分も大きいので、ここで詳しい内容を書くのは控えるけれど、感動した。聴覚障害者の方がガイド役となり、10人程度のグループでいろいろ体験する。参加者の中には聴覚障害を持つ方や、手話を習っていらっしゃる方もいた模様。私の身近には聴覚障害を持つ方がいないので、恥ずかしい話だけど手話や手振り身振りで会話をした経験がない。こんな私が参加してもいいのだろうか…と、なんとなく場違いな気がしていた。参加者はみんな初対面なので、最初はちょっとモジモジ。表情もちょっぴり硬かった。ところが!時間が経つにつれて Hemmung (気おくれ)みたいなのが消え、童心に返って互いにコミュニケーションを取るのが楽しくなってくる。もちろん声は出さないし手話も使わない。だけど知らない人とコミュニケーションを取るにつれて、互いの距離がぐんと近くなっていくのを肌で感じた。そして90分が終わると、仲良くなった皆さんと別れがたい気持ちになった。これは本当に不思議な感覚。お互いに名前も知らないし、バックボーンも知らない。だけど言葉を介さない手段で対話をすることで、ぐっと距離が近くなる。これぞコミュニケーションの基本だと思った。口から発する言葉は1つの手段にすぎず、コミュニケーションは言葉がなくても成り立つのだと。最後はみんなでニコニコしながら写真を撮り、会場で出していただいた冷たいお茶を飲んでお別れ。とてもとても素敵な90分だった。誘ってくださった方(Tさん、ありがとうございました✨)に感謝!
全部で3回の夏期講習が、昨夜終わった。去年の時も思ったけれど、受講生の方々の真摯な訳を拝見すると、本当に勉強になる。「おっ こういう訳があったか!」「うひゃ〜この頭の柔軟さ、うらやましい!」「うげっ こう来たか。負けた…」のオンパレード。字幕ルールには不慣れな方もいらしたけれど、こういうルールは練習すれば身につく。それよりも、頭の柔軟さと1語1語真摯に向かい合う誠実さは、“仕事慣れ”しちゃうと忘れてしまうもの。大いに反省した。しかも!私の「よろしくない訳」を発見することにもなり、穴があったら入りたい気持ちに…。一方で、自分の「よろしくない訳」が露見するような作品を教材に選ぶなんて、こりゃ墓穴を掘ったとも思った。穴があったら入りたいのなら、墓穴に入ればいいか…💦
…なんて冗談は beiseite、受講生の方々、もしこの駄ブログをご覧になっていらしたら、お礼をお伝えしたい。。。💦 3日間ありがとうございました✨
さてさて、昨日はちょっと慌ただしかった。お昼は高校時代の友人に30年以上ぶりに再会。ずっと会っていなくても、昔からの友達は会うと一気に昔に戻るもの。友達っていいなぁと改めて感じた。英語通訳&翻訳の専門家なので、語学の話でも盛り上がって楽しかった✨
そして夜は夏期講習。最終日だったので、そのあとは日独協会の方々と飲茶。本場中国の人たちがやっているお店らしい。お値段は超リーズナブルなのに美味しかった!
真ん中のお茶を注文。
濃ゆ~い1日で楽しかった❤ 「ことば」って面白いなぁと改めて実感。
爆破される東独の教会その2。ちょっと理由は違うけれど、同じく東独政府の判断で爆破された教会を思い出した。この2月、壁が通っていたベルナウアー通りを見に行った。東から西へ脱出するためのトンネルが最も数多く掘られた通りだという。
この写真はあまりにも有名。ここだったのね💦
この通りに面した家に住んでいた住人は、壁を建てるために退去を余儀なくされたとのこと。そしてここにあった Versöhnungskirche (直訳すると「和解教会」)は爆破されてしまった。「和解」という名のついた教会が爆破されるなんて、なんという皮肉。
ベルナウアー通りにあった看板。教会の元の姿が写っている。壁の向こうにあるから、西側から撮った写真かな。
現在、跡地には下のようなチャペルが…
元の教会の跡。
この日は小雨混じりだったこともあり、なんとも物悲しい気持ちになった(/ _ ; )
先日、旧東独時代の「国家と教会」の関係について伺った。第二次大戦の爆撃で、ドイツ各地の教会が甚大な被害を受けたのだけど、西側では多くが修復されたのに対し、旧東独では修復どころか破壊されてしまった例が多かったらしい。
講義の際に例として挙げられていたのは、ライプチヒのパウリナー教会。YouTube で探したのだけど、講義で拝見した爆破映像は出てこなかった。代わりに見つけたのが下の映像。教会が爆破される映像って本当に悲しい。
これはライプチヒのヨハニス教会の尖塔が爆破される映像。
ヨハニス教会は15世紀に建てられたそうだ。ぬゎんと、1813年のナポレオン戦争「ライプチヒの戦い(Volksschlacht bei Leipzig)」では野戦病院として使われたとか。第二次大戦で被害を受け、戦後の1949年2月19日(東独の建国は同年10月)に Kirchenschiff の部分(日本語で何と言うのだろう。。塔を除いた本体の部分。。。どなたかご教示びて)が爆破された。その後、塔だけでも修復して保存したいという市民の願いもむなしく、1963年5月9日に尖塔も爆破されてしまったとのこと。
こちらはマルクス教会。同じくライプチヒにあったらしい。こちらは比較的新しい教会で、1884年に建てられたものらしい。爆撃の被害はヨハニス教会に比べると小さかったものの、それでも老朽化が進み、1978年に爆破されてしまったとのこと…。他の教会と同様、SED(ドイツ社会主義統一党)に「修復」「再建」という選択肢はなかった模様。
そういえば。数年前に行った Wismar にも修復されないまま残された教会があったっけ。このマリア教会も戦争で被害を受け、1960年に塔を残して爆破されたとの話。wiki 情報で恐縮だけど、当時も市民が反対したにもかかわらず、爆破が強行されてしまったらしい。
先日拝聴したリースナー先生の講演、ちゃんとブログに書いておかないと忘れちゃう…と思いつつ、連日バタバタしていてついつい後回しに。とは言え、まだお仕事があるのであまりじっくり書けない…。私の脳が老化しつつあるのか、最近は仕事に脳が全部いっちゃって、他のことができなくなっちゃう。前はわりと切り替えができたんだけどなあ。トシで脳のキャパシティーが小さくなってるのとちゃうかー💦
さてさて、先日お聞きしたキーワードが記憶に残っている。「玉座と祭壇の同盟」。ドイツ語で何と言うのかな?(講演は日本語だったので)と思って検索してみたところ、
das Bündnis von Thron und Altar
…というのがヒット。教会と国家の結びつきを示す言葉で、元はフランス語だとか。うまいことを言うなぁ。教会と国家の関係って、ヨーロッパの歴史を理解する上で外せないポイントだと思う。そして簡単には理解ができない。先日の講演では、この両者の密接な関係が弱まったのが旧東独の時代だという話だった。後に始まる民主化運動も、教会がその活動の場となった。代表的なのがライプチヒのニコライ教会だろう。
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そう言えば、「おお〜!!」と思ったことがあった。旧東独も、建前上は西側諸国への亡命を認めていた。だけど実際は、西への亡命申請を出せば当局から嫌がらせを受け、仕事を失い、冷や飯を食わされる(あ、でも元々ドイツ人は特に夜は kalt な食事だから冷や飯はむしろ日常? てか、ドイツ人はライスは食べてもご飯は食べない💦 「冷や飯」って日本的な表現だなぁ… ←ひとりで勝手に感動してスミマセン)ことになった。「東ベルリンから来た女」の主人公も申請によって左遷された1人。前に見た「Westen」という作品では、科学者だった女性がやはり亡命申請を出して職を失い、墓地の掃除係になったというエピソードが描かれていた。私はてっきり、墓地の掃除係という仕事に左遷されたのだと思っていた。
だけど!先日の話によると、教会がそういう人たちに救いの手を差し伸べていたとのこと。墓地の掃除係に回されたのではなく、仕事を失って露頭に迷いかけていたのを(共産国では失業は存在しないハズだけど…)教会が助けたということだった!そういうことだったのかー💦 私の読みが浅かった。教会が駆け込み寺になっていたのか...
とにかく、国家と教会の関係は複雑かつ時代や権力者の方針によって変わるので理解が難しい。
昨日の夕方、六本木の国立新美術館で開催されている「ウィーン・モダン」展へ行ってきた。東京は8月4日までだったので、夕方に急いで駆け込んだ次第。
面白かった!「会議は踊る、されど進まず」のウィーン会議の頃から20世紀初頭に至るまでの100年間が網羅されていた。オーストリアの宰相メッテルニヒのアタッシュケースも展示されていてなかなか興味深かった。有名なシューベルトの肖像画とそのメガネも!そしてこの100年間の絵画や工芸品、ご婦人のドレスから家具までが時系列に整理されて展示されていた。
目玉は世紀末のウィーン。油絵や水彩画もよかったけれど、私がとても惹かれたのはポスター。くーーーー!おしゃれすぎるっっ クリムトが描いたポスターも、そしてエゴン・シーレが描いたポスターにも痺れた。
この作品のみ、撮影可能となっていたので私も遠慮なくパシャっ 人だかりができていて、なかなか真ん前に行けなかったので歪んじゃった。
ショップでこんなカードを購入。
さらにマグカップも。当時のフォントからデザインされたA〜Z,Ä、Ö、Ü、ß のカップが揃っている。私のイニシャルとは関係がないけれど、「ザ・ドイツ語」ということで「ß (エスツェット)」のカップにしちゃった。
東京での開催は今日が最終日だけど、このあと大阪へ巡回するとの話。関西の方は是非!
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「表現の自由」は「社会の自由」の尺度だと、とある方が Twitter で書いていらした。まったくそのとおり。