字幕ほにゃく犬のダラダラほにゃく日記

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ユダヤ人移送のための「集合場所」①レヴェッツォウ通り

 ふう、お仕事苦戦中。こういう時ほどネットサーフィンに逃げたくなっちゃう。ネットが普及して調べ物の効率は格段にUPしたけれど、その分誘惑も増えたなぁ。昔は調べ物をするには図書館へ行くしかなかったわけで、その手間を考えたらず~~~っと楽になったはずなのだけど。

 

 ところで、今回行きたいなーと思っていたところがある。下の記事を読み、実際に現地へ行ってみたくなったのであ~る。第二次大戦中、ベルリンには15か所の「Sammellager(Sammelstelle とも)」があったという。移送のためにユダヤ人を集めた場所のこと。シナゴーグやユダヤ人用の病院、ユダヤ人用の老人ホームなどを接収して集合場所に利用したらしい。そのうちの2か所に行ってみた。

 

www.berlin.de

 

1つ目。レヴェッツォウ通り7~8番には、かつてシナゴーグがあったとのこと。ここが集合場所に利用され、多くのユダヤ人がここに集められたらしい。持ち物を厳しく制限され、それ以外の資産は動産・不動産を問わずすべて没収。 

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現場に花輪が飾られていた…。

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1938年11月9日の、いわゆる「帝国水晶の夜」にこのシナゴーグも襲われ、損傷したとのこと(zerstört と書かれているけれど全壊には至らなかった模様)。その後は集合場所として使われるようになったらしい…。

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現在、跡地には貨物列車を模した記念碑が。この日はどんより曇っていたので、よけいに物悲しい…。

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横から見た図。

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貨車に詰め込まれたユダヤ人たちの悲しそうな顔が目に浮かぶよう…(涙)

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移送されたユダヤ人の記録。日付、人数、行き先が刻まれている。

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これによると、最初は1941年10月18日。人数は不明、行き先はポーランドのウッチ(Łódź)。ここはゲットーで有名。1941年というと、「ユダヤ人問題の最終解決」が話し合われたヴァンゼー会議(1942年1月20日)より前。そのころから少しずつ移送は始まっていたのかと思うと恐ろしくなる…。

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 レヴェッツォウ通りの集合場所に集められたユダヤ人は、2キロほど離れたモアビートの貨物駅まで歩かされ、そこから貨車に乗せられて東方へ送られたとのこと。

 

モアビートの貨物駅について、よろしければ下をどうぞ…

deutschali.exblog.jp

 

 

(続きます)