時間薬がなかなか効かない…。ううう、困った。こんなに憔悴するのは我が人生で初めてかも?ってくらいげっそり。若い時ももちろん様々な別れはあったけれど、年齢を重ねると堪えるものなのかもしれない…。でも前を向いて頑張っていかなくては。
デンマークのお仕事関係で、「ジャガイモ」を調べている。ジャガイモが大航海時代に南米からヨーロッパへ伝わったというのは有名な話だし、栽培を奨励したプロイセン国王フリードリヒ2世のお墓にジャガイモが供えられている(?)という話も聞いたことがある。ではデンマークのジャガイモ事情は?
…検索したら、なんとデンマークにはジャガイモ博物館があった!このサイトによると、ジャガイモがデンマークに伝わった経緯については諸説あるそうなのだけど、18世紀にはユトランド半島の荒れ地で開墾が進み、ジャガイモが栽培されるようになったとか。ドイツから伝わった説、ユグノー(フランスの新教徒)がフランスから持ち込んだ説などいろいろあるらしい。最初は人々の口に合わず、なかなかなじまなかったと書かれていてビックリ。
では日本へは? 安易で恐縮だけど、ウィキの説明を載せちゃう。(以下、ウィキから引用いたします)
『諸説あるが、1598年にオランダ人によって持ち込まれたとされる[3]。ジャワ島のジャガタラを経由して長崎へ伝来したためジャガタライモと呼称されたが、それが短縮されジャガイモとなった[3]。
江戸時代後期の18世紀末には、ロシア人の影響で北海道・東北地方に移入され、飢饉対策として栽培された[11]。蘭学者の高野長英は、ジャガイモ栽培を奨励している。また江戸後期には、甲斐国の代官であった中井清太夫がジャガイモ栽培を奨励したとされ、享和元年(1801年)には小野蘭山が甲斐国黒平村(山梨県甲府市)においてジャガイモの栽培を記録している(『甲駿豆相採薬記』)[36]。また江戸時代後期には、北海道のアイヌもジャガイモを栽培していた[37]。寛政年間、探検家の最上徳内がアブタ場所(現在の洞爺湖町虻田地区)に種芋を持ち込み、地域のアイヌに栽培させたのが、北海道でのジャガイモ伝来だとされる[38]。』