昨夜は某大学での上映会+監督(2人)と教授の特別対談だった。
上映は2時間弱、対談の予定時間は1時間ほど。18時始まりだったので、終了時刻は9時半を回っていた。もっと聴いていたかったけれど、夜も遅いから仕方がない。短く感じられたけれど、とても充実した内容だった。客席は9割がた埋まっていた。ホッ。
対談の前に研究室で監督や教授のお話を伺う機会に恵まれ(☚感涙)とって~もよい経験になった。以下、研究室で伺った話と、対談で話された内容を自分のメモ用に記しちゃう(順不同)。
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・ゲッベルスの顔が分かる映像は挿入せず、音声のみにした。また、その音声もキャッチフレーズ的でないものにした。
→ 映画を観た人が魅了され、感化されるのを防ぐため。
・なぜ今ゲッベルスなのか? → ゲッベルスは『プロパガンダの王』であり、その手法は現代でも通用するものである。ポピュリズムが急速に広がりつつある今こそ、再考しないといけない。
・本作の製作に着手した時は、「歴史を記録しておく」意図で作っていたが、ここ2年くらいで世界が激変し、戦前の状態に酷似していることに驚かされた。オーストリアにしてもしかり、ポーランドにしてもしかり、その他多くの国が大きく変わってきている。
・当時、“無数のポムゼル”(←ゲッベルスの秘書)があの体制を支えたのだろう。また、ポムゼルはどの国にもいる。
・政治がメディアをコントロールし、世論を操作しようとする → 現代も再びその傾向が見られる。
ゲッベルスの日記に書かれていた言葉:
「宣伝を成功させる秘訣は、相手が気づかないうちにそれに浸らせること(durchtränken という表現を使っていたとの話)」
・ハンナ・アーレントが唱えた「凡庸な悪(Banalität des Bösen)」は、アイヒマンよりもむしろポムゼルに当てはまるのではないか。
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昨日、家を出る前にヒトラーの秘書 Traudel Junge (トラウデル・ユンゲ)のモノローグからなるドキュメンタリー Im toten Winkel - Hitlers Sekretärin を改めて見直した。これは2002年に撮影されたもので、ドイツ社会に大きな影響を与えることとなった。彼女の告白を元に作られたのが Der Untergang (ヒトラー、最期の12日間)。
トラウデル・ユンゲとブルンヒルデ・ポムゼル。どちらもナチの頂点で君臨する人物に仕えた秘書。美しく、そして有能であることは共通するけれど、考え方がかなり違う気がする。その分岐点はどこにあるのだろう。2人が共通して挙げたのが「白ばら」のショル兄妹。ユンゲは「自分と同い年のゾフィがあのような行動に出たことを知り、衝撃を受けた。若いというのは言い訳にならないと思った」と言い、ポムゼルは「ビラなんて配ったりしなければ生きていられたのに」と言って同情していた。
一方、ユンゲは長い間心の中に閉じ込めていた思いを吐露することで「自分を許し始める(Ich glaube, ich beginne jetzt mir zu verzeihen.)」と答えていた。ポムゼルは撮影後、彼女の独白からなるこの映画から歴史を学んでほしいと答えたという。スタンスは違えど、結果的に加担してしまった自分の過去に長い間苦しめられてきたのは共通するのだと思った。
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