字幕ほにゃく犬のダラダラほにゃく日記

字幕ほにゃく犬の日常をぐだぐだと書いています

役割語に悩む

 先日もちょこっと書いたけれど、このところ「役割語」に悩まされている。特に女性言葉に対する指摘が増えていて(最初「女性言葉に対する風当りが強い」と書こうと思ったけど、まだそこまではないかも。大勢の前で指摘されたことがトラウマになっていて、私が神経質になっているだけかもしれない)、気になっている。

 

 数日前も、この記事が目に飛び込んできた。

 

gendai.ismedia.jp

 

 最初、「また批判?私たちの苦労も知らないで…」と、ちょっと構えて読んでしまった。改めてじっくり読んでみると、ナルホドと思うところも多い。特にこの記事の中で引用されていた文章を読んで深くうなずいてしまった。

 

役割語はステレオタイプの一種であり、ステレオタイプは偏見や差別と容易に結びつく(中略)。
安易な役割語の使用は、時として表現者の意図した、あるいは意図しない偏見・差別意識を伝えてしまう場合もあるわけです。また、役割語は〈標準語〉と一体となった仮想的な言語体系であり、現実には極めて多様で、ダイナミックな本当の日本語の姿を覆い隠してもいます。
(金水敏「役割語の不思議な世界」2018年8月3日確認)』

 

 もう15年くらい前。とある作品で、インドの貧しい労働者のセリフをぞんざいなしゃべり方にしたことがあった。その際、クライアントから「労働者のセリフをぞんざいにし、学者のセリフにインテリっぽい口調を当てるのは差別的です』と指摘され、はっとなったことがあった。キャラクターを生き生きさせるため、いわゆる役割語というのは必須。翻訳者の手腕が問われるところでもあると思う。一方で、この方が指摘するように「ステレオタイプは偏見や差別と容易に結びつく」典型例を私がやってしまったのだった。。。その時も自分を恥じた。だけど、現場で汗びっしょりになって働いている男性に「わたくしは~と考えます」みたいな口調を当てるのは、やはり違和感がある。

 

 一方で、原語にだってぞんざいな言葉、インテリの言葉、女性ならではの言葉などもある。私はドイツ語と英語しか知らないけれど、「書かれた言葉」「キャラクターが発するセリフ」には、話者の性別なり立場なり職業なりが色濃く反映される。これをできるだけ近い日本語に置き換えるのも私たち翻訳者の仕事。確かに今どきの女性は「~よ」「~わ」「~ね」と言わないかもしれないけれど、昔からの「字幕言語」「吹き替え言語」があり、それは鑑賞するお客様の暗黙の了解があって成り立つことだと思う。そしてお客様にもいろいろな考えがあるから、100%の理解を得るのは難しいのかもしれない。

 

 …というワケで、ほにゃくは難しい。何事もほどほどがいいんだろうなぁ。ワタシはまだまだ修行が足りないなあと思った次第。。