字幕ほにゃく犬のダラダラほにゃく日記

字幕ほにゃく犬の日常をぐだぐだと書いています

お墓参り & ちょびっと 

 ここ2~3年は毎年、ゴールデンウィークの間にお墓参りをしている。都心は比較的すいているので霊園までサクッと行けちゃうから。一昨日は義父のお墓へ、そして昨日は母のお墓へ行ってきた。道が混むとアレなので8時半くらいに家を出ると、10時過ぎにはお墓に着く。駐車場もすいているし、人も少ないし、自然はきれいだし。うん、お墓参りはGWに限る!

 

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                                @鎌倉霊園

 

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 自分のブログでは作品の宣伝はしないと決めているのだけど、ちょうどGW中に公開された作品があり、私が好きな監督なのでちょこっとだけ貼らせてくださいっっ 公開に先立ち、一般試写が行われた時のトークの一部です♪ 

 

【イベントレポート】『ミセス・クルナス vs. ジョージ・W・ブッシュ』公開前一般試写会|ザジフィルムズ

 

 

スマホ機種変

 スマホの調子がなんとなく悪い。。4年半ほど使っているのだけど、最近は急に固まったりスイッチが急に消えたりするようになった。うーむ、中に入っているデータがパアになったら怖いなぁ。このスマホは娘と一緒に買い替えたのだけど、娘は少し前に新しいものに替えた。私もそろそろ替え時かなぁ・・・ …この際だから、料金も含めていろいろ見直そうかなぁ。

 

 ところが私はこういうのが苦手。どんなプランがお得かとか、どこで買ったら安いかとか、そういうのを調べるのが面倒臭いのであーる。こういうのは若い人が得意。そんなわけで、何も考えずに娘のマネをすることにした。

 

リンゴのお店でスマホを買う ⇒ 某 a● のショップへ行く ⇒ ●Q mobile に乗り換える(KDDI 系列なので、a● のショップ内に窓口もあった♪ 良心の呵責なしに乗り換えられるのもありがたい)

 

どうやらこれがいちばんお得らしい。特に新しい iPh●●e (← 伏せ字にする意味なし笑)はどえりゃ~高いとの話。せめて月々の通信料は安くしないと辛いな~。先に乗り換えた娘の話では、U● mobile でも特に問題は感じないとのこと。だったら安いほうがいいな~。うん、そうだ。

 

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そんなわけで、早速りんごのお店に行った。新しい iP●one、うわさ通り高い!パソコン並みの値段だ~!これをまた何年も使って元を取ろう。。

 

イタリア文化会館へ

 昨日は九段下のイタリア文化会館へ行ってしまった…!実は何年か前も一度だけ行ったことがあるのだけど、その時は慌ただしかった上に夜だったので、建物をじっくり見ていなかった。だから今回はまじまじと見ようと思って大接近…

 

 

…したら、デカすぎて収まらなかった(苦笑)。白い壁に赤い窓枠。とても斬新であーる。

 

iictokyo.jp

 

イタリアの建築家さんの設計だそ~だ。九段下の駅から出ると、青々とした新緑が目にまぶしい千鳥ヶ淵に…

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何かと物議をかもすこの建物も…

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ちょっと反射しちゃって何が何だか分からない状態になってしまったけれど、ご興味のある方、イタリア好きな方は是非!

 

www.asahi.com

 

突然、 Brombeeren が…

 

 10年くらい前、ラズベリーとブラックベリーの苗を買ってきて、ミドリガメの額くらいの小さな庭に植えたことがあった。ところが!ラズベリーは毎年花が咲いて、わずかながらも実がなるのだけど、ブラックベリーのほうは最初の数年だけ実はなったものの、その後は音沙汰ナシ。しーん… たま~に葉っぱは出るのだけど、花が咲かないまま枯れてしまうパターン。そのうち、ブラックベリーの存在をすっかり忘れてしまった。

 

 ラズベリーとかブラックベリーって地下茎で伸びるらしく、とんでもないところからひょっこり芽を出す。今日、ミドリガメの額ほどの庭の草抜きをしていたら、隅っこのほうで見慣れない花が咲いているのを発見。最初に植えたところからずいぶん離れている。ラズベリーの花よりずっと大きい。も、もしかしてこれはブラックベリー???

 

 

いくつかつぼみもついてる!わ~い、実がなるのが楽しみだ~!!立派な実がなりますように…!実がなったらブログでジマンするからねー!

 

 

 …と思ったら、今から6年前にもブラックベリーも2粒なっていたらしい。ブログの記録にあった(苦笑)

alichen.hatenablog.com

 

 

 

 

対訳 ドイツ語で読む「変身」

 昨日、郵便受けを開けたらステキな本が届いていた。

 

対訳 ドイツ語で読む「変身」

本田雅也 編著/白水社

 

 カフカの「変身」は、大学生の頃に拙いドイツ語力でなんとか読もうとした本。わー、懐かしい~♪と思いながら早速ページをめくった。第1章の冒頭を読んだとたん、大学生のころの思い出が鮮やかに甦った…!あれからン十年もこの本に触れていなかったのに、ところどころ覚えていたことにも驚き。早速、お訳しになった本田さんにお礼をお伝えしたところ、ご本人もこの本を読んだ大学生のころを思い出しながらこのご本をお作りになったとおっしゃっていて胸が熱くなった。

 

 「変身」は、ドイツ語関係者なら必ずといっていいほど読んでいる、もしくは先生に勧められて手にしたことがある本。ン十年経って読み返しても新鮮な驚き(なんせ冒頭からして、なかなか個性的だし)が味わえる。名著と言われる所以だな~なんて思いながらページをめくった。このところ感傷的になっていることもあって、よけいに目頭が熱くなった。ううう・・(涙) それにしても、本ってすごい。時を超えて私たちを感動させてくれる。

 

 

 

 

ジャガイモ博物館

 時間薬がなかなか効かない…。ううう、困った。こんなに憔悴するのは我が人生で初めてかも?ってくらいげっそり。若い時ももちろん様々な別れはあったけれど、年齢を重ねると堪えるものなのかもしれない…。でも前を向いて頑張っていかなくては。

 

 デンマークのお仕事関係で、「ジャガイモ」を調べている。ジャガイモが大航海時代に南米からヨーロッパへ伝わったというのは有名な話だし、栽培を奨励したプロイセン国王フリードリヒ2世のお墓にジャガイモが供えられている(?)という話も聞いたことがある。ではデンマークのジャガイモ事情は?

 

www.kartoffelmuseum.dk

 

…検索したら、なんとデンマークにはジャガイモ博物館があった!このサイトによると、ジャガイモがデンマークに伝わった経緯については諸説あるそうなのだけど、18世紀にはユトランド半島の荒れ地で開墾が進み、ジャガイモが栽培されるようになったとか。ドイツから伝わった説、ユグノー(フランスの新教徒)がフランスから持ち込んだ説などいろいろあるらしい。最初は人々の口に合わず、なかなかなじまなかったと書かれていてビックリ。

 

では日本へは? 安易で恐縮だけど、ウィキの説明を載せちゃう。(以下、ウィキから引用いたします)

 

『諸説あるが、1598年にオランダ人によって持ち込まれたとされる[3]ジャワ島ジャガタラを経由して長崎へ伝来したためジャガタライモと呼称されたが、それが短縮されジャガイモとなった[3]

江戸時代後期の18世紀末には、ロシア人の影響で北海道東北地方に移入され、飢饉対策として栽培された[11]蘭学者高野長英は、ジャガイモ栽培を奨励している。また江戸後期には、甲斐国の代官であった中井清太夫がジャガイモ栽培を奨励したとされ、享和元年(1801年)には小野蘭山が甲斐国黒平村(山梨県甲府市)においてジャガイモの栽培を記録している(『甲駿豆相採薬記』)[36]。また江戸時代後期には、北海道のアイヌもジャガイモを栽培していた[37]寛政年間、探検家の最上徳内がアブタ場所(現在の洞爺湖町虻田地区)に種芋を持ち込み、地域のアイヌに栽培させたのが、北海道でのジャガイモ伝来だとされる[38]。』

ja.wikipedia.org

 

 

Verlust-喪失

 詳しくは書けないのだけど、いま大きな喪失感にさいなまれている…。出会いがあれば別れもある。しかたがないことだし、先人もみな味わってきたことだけど、やっぱりつらい。時間薬が効いてくるのをただ待つだけ。ううう…(涙)

 

 ちょっと感傷的になっているからだとは思うのだけど、年齢を重ねていくと失うものも増えてくる。若さや元気、健康だけでなく、いろいろな人とのつながりや楽しい日々、将来への希望…。誰もが通る道。若い頃は考えもしなかったのだけど。

 

 

 

 

 

Gastarbeiter

 マウトハウゼン(4)がまだあるのだけど、その前に別の話題を・・・。数日前、とある映画の一般試写があってアフタートークで漫談をしてしまった。ドイツにいる2世、3世のトルコ人が主人公。ドイツにお詳しい方なら、もちろん「ガストアルバイター」のこともご存じだと思うのだけど、一般試写なのでそこまでご存じない方もいらっしゃるかも。そんなわけで、ドイツにおける外国人労働者、ガストアルバイターのことを少し調べてみた。

 

 そもそも Gastarbeiter とはナンジャラホイ? Gast は「お客」、Arbeiter は「労働者」。この Gast は「客員教授」や「客演指揮者」のように、頭につけると「お招きして一定期間(もしくは1回ポッキリ)やっていただく」感が出る。Gastarbeiter はたま~に「出稼ぎ労働者」なる訳語が当てられているのを見かけるけれど、出稼ぎではなくドイツ側が人手不足の解消のために招いた労働者の人たちなので正しくないと思う。ベースとなっているのは1950年代に各国と結んだ二国間協定。1955年にイタリアと、1960年にスペイン、ギリシャと、1961年にトルコと、1963年にモロッコと…といった風に二国間での協定締結が続く。背景にあるのは、戦後西ドイツの「経済の奇跡」。急成長を遂げ、人手が足りなくなってしまったとのこと。ルール地方を含むノルトライン・ヴェストファーレン州が最も多くの労働者を受け入れたことからも、工業地帯での人手不足の解消が急務だったことが分かる。労働者の受け入れは第一次石油危機の1973年まで続いたそうだ。

 

 しかーし。あくまでも「一時的」な労働力で、契約が終了したら帰国するだろうとのもくろみから、政府はドイツ語を教えるといった統合政策をやってこなかったとのこと。なのでトルコ人一世はドイツ語が話せない人が多い。

 

 ちなみに今、ドイツではどのくらいのトルコ系住民がいるのかな?と思って、ドイツ連邦統計庁のデータを見てみた。2021年の統計だと2,747,000人。ドイツ全体の人口が8千数百人なので人口の3%ちょっとに当たる。

 

(同じ年の数字で比べるべきなのだけど、統計庁の総人口のデータがいろいろな条件によって細かく数字が分かれているので、結局どれが総人口なのか分からない…。トホホ。別のデータによると、2023年6月時点で総人口は8,482万人だとのこと)

 

 今や移民の背景を持つドイツ人は2千万人以上。移民の背景を持たないドイツ人は6千万人弱。3割とはいかないけれど、それに近い人が移民の背景を持つことを知ってビックリ。その中には東欧からの移民やアフリカ系、アラブ系、アジア系など様々なルーツが含まれる。これについても、ドイツ国籍があるかどうかとかで数字が変わってくるのだけど、知識のない私は統計が読み解けない(涙)。いずれにしても、ドイツが移民国家であることが、はっきり分かった。

 

マウトハウゼン強制収容所へ(3)

 バスに揺られること35分。観光バスかな?って思うくらい大きくてふかふか椅子のバスだったのだけど、一応路線バスらしい。ただ、お客さんは数名。途中のバス停にもほとんど止まらず(たまに止まってお客さんが降りていったけれど)、そのままマウトハウゼン強制収容所へ。先日も書いたけれど、この日は快晴。いや~暑かった。オーストリアは内陸だから夏は暑くなるって聞いたことがあったけれど、まさかヨーロッパで東京以上の暑さに見舞われるとは…。これも温暖化の影響だろうか。

 

 強制収容所はとうもろこし畑を延々と上がったところにある。バスはもちろん、強制収容所の入口まで行ってくれるので歩く必要はなかったのだけど、当時の囚人たちはこの山を延々と登らされたという。ある証言者が「青々とした丘の上にあった」と言っていた。青々とした丘を上った先に地獄のような収容所が待っているのだから、本当に残酷としか言いようがない…。

 

 

当時はこうしたバラックがたくさん建てられていたと思われる…。ほんっとに人がいなくて寂しかった(涙)

 

 ガラスが反射してしまったけれど、上空から撮影した当時の収容所。読みづらいかもしれないけれど、左上が「死の階段」、その下が採石場、右は30番が遺体焼却場、31番がガス室。



 

遺体の焼却場。ガス室を始め、とても悲しい写真がたくさんあるのだけど、全部を載せるのはやめて1枚だけ載せさせてください。たくさんの人の人生が、こんな状況の中で終焉を迎えたという事実がなんとも悲しい。

 

 「死の階段」。このマウトハウゼン強制収容所は採石場のすぐ近くにある。リンツに「Führermuseum(総統美術館)」を建て、街も美しく整備する計画があったそうで、そのために石が必要だったとのこと。総統美術館に展示されるのはユダヤ人や占領した町から略奪した絵画や美術品。そこでマウトハウゼンの採石場に目を付けたナチスの幹部が、その近くに強制収容所を建てたらしい。そして囚人は採石場で採った石を抱え、階段を昇らされたとのこと。途中、落下した石で人が亡くなったり、自分が石に押しつぶされたりと、悲劇が絶えなかったとの話。そしてこれが「死の階段」と呼ばれるようになったらしい。

 

 

 

 

 

~つづく~

 

 

マウトハウゼン強制収容所へ(2)

  マウトハウゼン強制収容所記念館のHPに行き方が書いてある。先日も書いたけど、どうやらリンツからバスに乗るのがいちばん簡単そう。

 

www.mauthausen-memorial.org

 

このサイトにはバスの時間も載っている。本数が少ないので注意が必要。私は午前中に出るバスに乗ろうと思っていたのだけど、リンツの駅でバスの切符の買い方が分からず、オロオロしているうちにバスに乗り遅れてしまった(ToT)。ううう、バカみたい。しかたなく、駅の案内所バスの切符の買い方とバスターミナルの場所を尋ねて計画を練り直した。あーあ、アホな私。次のバスまで2時間もあるのでリンツの市内を観光して時間をつぶした。リンツが見られたので、これはこれでよかったかも?!

 

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●リンツから出ているバスの時刻表

 

Von 23. März bis 31. Juli 2024:

Linz -> Gusen -> Mauthausen Memorial (Buslinie 361)

08:15 -> 08:42 -> 08:51

10:45 -> 11:12 -> 11:21

12:45 -> 13:12 -> 13:21

14:45 -> 15:12 -> 15:21

Von 1. August bis 26. Oktober 2024

Linz -> Gusen -> Mauthausen Memorial (Buslinie 361)

08:15 -> 08:39 -> 08:48 

10:15 -> 10:39 -> 10:48 

13:15 -> 13:39 -> 13:48 

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ちょっとしわくちゃになっちゃったけれど、駅の中の案内所のお兄さんが次のバスの時刻をプリントアウトしてくれた(↓)。

 

路線バスの361番系統、バスターミナル内のC5乗り場から出発。

行き先は Mauthausen OÖ(=Oberösterreich)、降りる駅は「Gedenkstätte/Memorial」(=記念館)。



さてさて、私が格闘した券売機はコレ(↓)。

 

 

出発地点:Linz/Donau Hbf(リンツ中央駅)

行き先の欄に「Mauthausen」と入力すると、いくつか候補が出てくる。4番目の Mauthausen OÖを選択。 

 

すると、マウトハウゼンOÖ行きの候補がいくつか出てくるので、案内所のお兄さんが勧めてくれた「12時45分発、バス361番系統」を選択。

 

大人1枚(1.Erwachsene:r)を選択し、割引券みたいなのはないので、右の欄は無視。 

 

 

上の片道切符(Eine Fahrt) ではなく、下の1日券(Tageskarte) 12.40ユーロのほうにチェックを入れ、購入。1日券なら、この切符で帰りも乗れちゃう♪

 

 

出てきた切符がコレ。

 

バスターミナルがとても分かりづらくて困った。出口を出てすぐ右に、このような建物がある。この中がバスターミナルだった。なんの表示もないからウロウロしちゃった。

 

 

入って奥のほうに行くと、C5乗り場があった!よかった、私が乗る予定の361番系統も出てる。ホッ。



始発なので時間通りにバスも来た。これに乗って、一路マウトハウゼンへ…

 

(つづく)

マウトハウゼン強制収容所へ(1) ~昨年の夏の話ですが~

 昨年の話になってしまうのだけど、9月に2泊3日という弾丸日程でフランクフルトからウィーンへ飛んだ。目的は久しぶり(実に30数年ぶり!トシがバレる~)にウィーンの街を見ること、そしてマウトハウゼン強制収容所の記念館を見学すること。ドイツ国内の強制収容所やポーランド、チェコの強制収容所へは行ったのだけど、オーストリアの施設に行ったことがなかったので、行きたいと思っていた。戦争犯罪に対する考え方、過去との向き合い方がドイツとオーストリアでは大きく異なるというのを聞いていたから、それを自分の目で確かめたいと思っていた。実際、どうなんだろう?ドキドキ。

 

 さてさて、マウトハウゼンへどう行けばいいんだろう?

www.mauthausen-memorial.org

 

  マウトハウゼン強制収容所記念館のHPを見ると、どうやらいちばん分かりやすそうなのが、リンツの駅からバスで行くルート。うっしゃー!これで行こう!もしかしたらリンツも見学できるかも!?!

 

 …と、張り切って出掛けたものの、か~な~り~ややこしかった! そして遠かった!マウトハウゼンを見学したいと思っている方が検索でこの駄ブログに来てくださる可能性もあるので、行き方を書いておこうと思う。参考になるといいなぁ。あ、そうだ。現地は日陰がほとんどないので、夏はめちゃくちゃ暑いよ~。日本のようにあちこちに自動販売機があるわけではないので(←自動販売機は電気を浪費するもんね。エコじゃないから…)、水筒にお水を入れて持って行くこともおすすめしちゃう。

 

ピーカンという言葉しか思いつかない…。この時は気温が35度くらいあって、ほんっとに暑かった…。日傘もなんとなく差しづらいから(誰も差さないだろうから、持って行かなかったし)日焼けし放題。腕にくっきり時計の跡がつくくらい日焼けしちゃった。このトシでこんなに日焼け三昧でいいんだろーか。なお、9月ということもあって見学者も少なく、周りを見渡してもほとんど人が見えない状態。施設が施設なだけに、ちょっと滅入った。

 

 

~つづく~

明日はイースター

 

 ふう、昨年の12月からずっと続いていたシリーズ物の翻訳が終わった…。シリーズ物の翻訳にはシリーズ物ならではの楽しさもあるのだけど、とにかくシンドイ。その間に別の作品の翻訳もやりたいし、お友達とも遊びたいし、映画も見たいし、旅行も行きたいし…。で、欲張って全部詰め込むからアップアップになっちゃう。だけどなんとか終えられてホッ。

 

 ふと気づくと明日はイースター!なんの飾りも出していないので(今年はお雛様も出さなかった…!)せめてチョコの写真だけでもUPしよう。(で、そのあと食べる)

 

 

 

 確か前にブログでも「デンマーク語を習う!」と息巻いていたと記憶しているのだけど(鼻息を荒くした記憶がかすかに鼻の奥に残ってる…)ワタシったら、まだ続けている。スゲ-。先生がとてもとても美しくて優しい方なので、その先生をガッカリさせてはいけない、という思いもあって続けている。半年ほど文法を勉強し、それからはずっと講読。ある時はレシピ、ある時はアンデルセン童話、ある時はネットの記事。レッスンの直前に慌てて単語を調べ、慌ててざっと目を通す… 大学時代からまったく成長していないワタシである。でも頑張ってよかったなーと思うことがあった。このところ、何本かデンマークの作品をほにゃくしている。もちろん英訳がついてくるのだけど、頑張って原語から読んでいる。そして意味を取り違えていないか、英訳から確認するという流れ。原語からでも理解できるのが嬉しい。学び始めてちょうど丸2年。途中何度も「もうやめちゃおうかなー」と思うことがあった。単語を辞書で引くのも大変だし、発音が超難しいし(←いまだにうまく発音できない)、そもそも頭が老化して新しい単語が覚えられないし。でもなんとか続けてよかった(ToT)。辛抱強くつきあって指導してくださった優しい先生のお陰。大感謝~!次の目標は、英訳に頼らなくてもすらすら読めるようになること。これはもう少し努力が必要だな~。

 

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 そのデンマーク語の流れで、いまいちばん興味があるのはドイツとデンマーク間(および北欧諸国間)の歴史。スカイプレッスンで今読んでいるのもデンマーク史。北欧諸国間だけでも戦争が何度も繰り返され、さらにナチ・ドイツによる侵攻。これについては北欧各国で対応が異なっていたみたい。さっそく北欧史という山川出版の本を注文した。これについてもまた書かせてね♪ 興味は尽きない~~~

 

 

 …そんなこともあり、今年の夏は北部ドイツとデンマークに行きたいとひそかにもくろんでいるワタシである。

季節外れの Fastelavnsbolle (セムラ)

 ベルリンとはまったく関係がないのだけど、思い立って Fastelavnsbolle を作ってしまった。話せば長くなるのだけど、そしてXかどこかでも書いてしまったので、もしかしたら「え?またその話?」と思われる方もいらっしゃるかもしれないのだけど、好物なので書いちゃう。

 

 昨年の2月にベルリンへ行った際は Finnair を使った。これがいちばん安かったから。行きも帰りもヘルシンキの空港で乗り換えだったのだけど、帰りはなんと7時間も時間があった。お腹がすいたなぁと思ったのだけど、なぜか空港はがらーーーんとしていて店も多くが閉まっていた。唯一空いていたカフェで、たった1種類だけケーキらしきものが売っていた。フィンランド語ができないのでよく分からなかったのだけど、「これくださーい」と頼んだのが…

 

コレ! うひゃ~~

 

 

よく知らずに食べたのだけど、これが激ウマ。いやもう、本当に美味しかった!あとで調べたら、北欧(スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、フィンランドなど)でカーニバルの時期に店頭に並ぶものだとか。スウェーデン語では「セムラ」と呼ばれ、今や日本でもおなじみらしい。知らなかったのは私だけ?そしてデンマーク語の先生に聞いたところ、デンマークでもポピュラーなのだとか。デンマーク語では Fastelavnsbolle(ファステラウンスボレ)。

 

この味が忘れられず、デンマーク語の先生にお願いしてレシピを教えてもらった。それが、コレ(↓)。生クリームとラズベリージャムが入っているのは、どうやらフィンランド風らしい。デンマーク流はアーモンドのクリームを入れるそうなのだけど、チョコレートバージョンやらフルーツバージョンやら、いろいろあるみたい。

自分で言うのもナンだけど、とてもウマい。カーニバルの時期は過ぎたけれど、むしょうに食べたくなったので今朝焼いてしまった。

 

材料は:

強力粉 250グラム

砂糖  20グラム

塩   3グラム

卵   1個

牛乳  120ml

無塩バター 30グラム

カルダモン ホール5粒

ドライイースト ホームベーカリー付属のスプーン小さじ1杯

++飾り用++

生クリーム、生クリーム用砂糖(好みの量)、ラズベリージャム、粉砂糖

 

①カルダモンの中身を出し、細かく刻む。

②パンの材料を全部ホームベーカリーに入れて、生地を作る。

③ガス抜きしたあと8つに分け、クッキングシートを敷いた型に入れて二次発酵。

④180度で20分程度焼く。(オーブンによって焼く時間が変わるみたい。うちはオーブンを買い替えたら、前より時間が短縮できるようになった。。)

⑤冷めたら横にスライスし、間にラズベリージャムと生クリームをはさむ。

⑥最後に上から粉砂糖をふりかける。

 

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カルダモンの芳香がクセになる。。粉末も売っているのだけど、ホールで買って固い種を取り出し、頑張って包丁で刻むと香りが違うらしい。お詳しい方にとっては当たり前なのかもしれないのだけど、私はそれまでカルダモンすらよく知らなかった~。上がホールの状態。真ん中は、緑の皮をむいて種を取り出したところ。いちばん下は、刻んだ状態。とにかく硬いので刻むときはご注意を…。

 

カーニバルの時期は過ぎてしまったけれど、よかったら試してみてね♪

 

 

元火葬場の映画館

 あっという間にまた1週間が経ってしまった…。今週はいろいろ忙しくて、バタバタと慌ただしくしていた。ふう、週末になって少しホッ。

 

 先日、書きかけて下書き状態にしていた記事があったのを思い出したので(書きかけて忘れてた…)いま、加筆中~。

 

 映画祭の会場の1つに、「silent green Kulturquartier」という所がある。調べてみたら、なんと昔は火葬場だったとか。すごい再利用だー!とにかく行ってみたいと思い立ち、空き時間に行ってみた。

 

 …が!この日に限ってお休みだったらしい…。中に人はいるものの、門が閉まっていて中には入れず。トホホ。しかも、今にも泣きだしそうな空。今回はあまり天気に恵まれなかった…。

 

晴れている時はこんな感じ(↓)らしい。この写真はウィキペディアに載っていたもの。著作権フリーなので使わせていただきました。



サイレントグリーンのHP(↓)。クリックしてみてね。ステキな建物の写真が出てくるよ~。ああ、中に入って見たかった…!

www.silent-green.net

 

しかーし。毎回気になるのだけど、壁の落書きはなんとかならないのかなぁ…。きれいな建物が無残な姿になっているのを見ると、本当にガッカリしちゃう。そんなにスプレーで絵を描きたいのなら、自分の家に描けばいいのに。ひどい落書きを見るたびに怒りがこみあげちゃう。

 

9年ぶりにプレッツェンゼーへ

 またまたベルリンの話に戻っちゃう。実は今回、プレッツェンゼーにある刑務所でベルリン映画祭の1作品が上映されるというのを小耳に挟んだ。どうやら関係者のみということみたいなのだけど、どんな感じなのか見てみたい。小雨が降る寒い中、バスを乗り継いで行ってしまった。

 

 

 

前回、プレッツェンゼーに行ったのはなんと9年前!どういう所なのか、旧ブログに書いていたので、もしご興味のある方はチラ見してみてね♪

 

deutschali.exblog.jp

 

 

 今回上映の会場となるのはこの処刑場跡ではなく、近くにある刑務所。

 

私が現地に行ったのは、上映予定の前日。何か看板でも立っているかな~、ポスターでも貼ってあるのかな~と思ったのだけど、なーんにもない…。私ったら勇気を出して、守衛室の呼び鈴を押してみた(よくやるなあ、私も…)。

 

刑務所の守衛というお仕事柄、お兄さんたちのガタイは半端ない。顔もイカツイ。ちょっとドキドキしながら「あのう… 明日、ここで映画が云々」と尋ねたら、本館(?)に聞いてくれと言って本館の住所をメモに書いて渡してくれた。親切なお兄さん、ありがとう。でもちょっと怖かった…。

 

 

それから歩くこと数分。どうやらここが本館らしい。また入り口の呼び鈴を押して尋ねたところ、「招待状があるなら明日、来てください。ない場合、入館は無理です」と親切に説明してくれた。突然現れたミョ~な日本人の私に、とても親切に対応してくれた。感謝!

 

 

…結局、ポスターや看板などは見当たらず。雨が強くなってきた上に風までぴゅ~~。バス停でバスを待つものの、次に来るのは30分後。バスを待ちながらちょっと寂しくなってきたけれど、まあいいや。この日は昼前の上映を見る予定だったので、急いで次の会場へ。